サリン

1995年3月、新興宗教が東京の地下鉄で使用したサリンは、13人の死者、6000人を超える負傷者を出す大惨事を引き起こしました。
サリンは、殺傷目的以外での利用価値はない物質です。
サリンの発見は1902年ですが、兵器として開発したのは第二次大戦中のナチスです。
第二次大戦後半、ナチスは悪化した戦局打開策としてサリンの投入を計画しましたが、ヒトラーは許可しませんでした。
ヒトラーは、ドイツが第一次世界大戦で、毒ガス兵器イペリットを使用し、後に連合軍にイペリットで反撃され敗戦の原因を作った事を知っており、サリンの毒性から使用による悲劇の想像ができたためだといわれています。
ちなみに、イペリットを開発したのはフリッツ・ハーバー(ボッシュとともにアンモニアの製造でノーベル化学賞受賞)とオットー・ハーン(核分裂の発見でノーベル物理学賞受賞)の二人の大科学者です。

ヒトラーでさえ使用できなかったサリンを日本のの新興宗教は使ってしまったわけです。




サリンはアセチルコリンエステラーゼに作用します。
アセチルコリンは重要な神経伝達物質で、神経細胞シナップス前膜で分泌されたアセチルコリンを受け取った神経細胞は興奮状態になります。
神経細胞は興奮状態が長時間持続すると死んでしまいます。
そこで、アセチルコリンエステラーゼという酵素が働き、アセチルコリンを酢酸とコリンに分解します。

まず、アセチルコリンエステラーゼです。
アセチルコリンエステラーゼの中央部に反応に関与するセリン残基があります。
アセチルコリンの加水分解はこれの水酸基を使います。



下は、プロテインデータバンク2C4HのX線結晶解析図です。
@ アセチルコリンが酵素に取り込まれ、200番目セリンに近づいていきます。(図ではチオアセチルコリンが用いられています。)
A 200番目セリンはアセチルコリンによってアセチル化され、アセチルコリンは分解されます。
B 直後にタンパク質中の水分子によってアセチル化された200番目セリンは加水分解を受け、酢酸イオンを放出すると同時に、エステラーゼ酵素が再生、次のアセチルコリン加水分解の準備が完了します。




しかし、この酵素の中では、含水型オルトエステル構造を取りやすいらしく、通常の有機化合物のエステルの加水分解よりずっと早いと思われます。


プロテインデータバンク2XUDでは酢酸エステルはオルトエステルとして観察できます。







左ボタンを押してドラッグすると分子を動かすことができます。
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さて、サリンはアセチルコリンとよく似た構造をしています。




アセチルコリン還元酵素はサリンをアセチルコリンと間違えて取り込んでしまいます。
セリン残基水酸基がサリンを攻撃、さらにフッ素原子が脱離基として働くため、リン酸エステルとしてセリン残基を修飾してしまいます。
リン酸エステルは安定なため分解されず、即ち、アセチルコリンエステラーゼは変性してしまいます。
従って、アセチルコリンは分解されず、神経細胞は興奮死してしまいます。
このような変性は有機リン酸系農薬でも起きます。(従って症状はよく似ています。)




サリン中毒には2−PAM(プラリドキシムヨウ化メチル)が使われます。
この解毒剤は結合してしまったリン酸エステルと反応(エステル交換)して、アセチルコリンエステラーゼを再生する能力を持っています。







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